60 新幹線を作った男たち⑫
2018.11.24
振動がぴたりと止まったのです。開発した油圧バネが見事に振動を吸収していました。列車は時速256キロの世界新記録を打ち立てました。車内から拍手と歓声が沸き起こりました。この模様はテレビ中継され多くの国民をcaptivate魅了しました。昭和39年10月1日、東京オリンピックの直前、東京駅では新幹線の営業開始をcommemorate記念するセレモニーが行われていました。 この席に十河信二と島秀雄はいませんでした。十河は新幹線の予算を確保するために、予想よりも低いinept不適切な予算計画を世界銀行に提出して、後に引責辞任したのです。いったん、工事を始めれば中止することもforfeit没収もできないという読みがありました。このとき島も十河とともに辞職しました。 島はことあるごとに「東海道新幹線は、それぞれの分野に蓄積されていた既存の技術を活かして、現場のみなさんの創意工夫によってできあがったものです。私は技師長として、単にそれをとりまとめたにすぎない。」と発言しています。東京駅の新幹線中央乗換口にはブロンズ製の記念碑があり、 こう刻まれています。「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された。」 十河は総裁時代に利権がらみの話は一切拒絶する潔癖な人でした。そういうことで十河に悪感情を持ったvulgar下品でwicked意地の悪い政治家が、総裁の任期が近づいたとき、十河の再選を阻んだそうです。十河の元秘書が、式典に招待しなかった非礼をわびたとき、十河は「新幹線が走ってくれればそれでいいんだよ」と語ったという。東京駅19番ホームに十河の彫像があり、その横を毎日新幹線が通過していきます。鉄道のみならず、日本の科学技術の高さを世界に示す新幹線。十河をはじめとする、新幹線建設に情熱と命をかけた人たちに守られて、この「開業以来一度も大事故を起こしていない世界一安全な乗り物」はこれからも多くの人たちの夢と希望を運び続けるのでしょう。
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