58 新幹線を作った男たち⑩
2018.11.22
昭和32年8月、三木は「超特急東京―大阪間三時間の可能性」という講演を行いました。国鉄幹部の意見はdiverge,枝分かれしましたが、総裁の十河は航空機やマイカーの登場でstale,新鮮でなくなった、tumble,転げる一方の国鉄を活気づけるために、賛成しました。また、運輸省も三木の構想にゴーサインを出し、東海道新幹線が5年計画で国家目標と定められたのです。 三木の設計は次のように進められました。三木がpigment,絵の具を使ってdye,染めたclay,粘土を使ってspecimen見本を作る。他の人がそれを図面にscribble なぐり書きする。Meantime、その間三木が見本を修正し、またその図面を作る。これを繰り返しました。三木は「かっこいいものを作りたい」というこだわりを持っていました。それにより、空気抵抗からemancipate,解放された、かつcuddle抱きしめたくなるようなfeminine女性的な、理想に限りなくproximate近いデザインが誕生したのです。 デザインはできたもの他にも難題が山積していました。どうやって、線路上の石から車体をshield,防護するか。どう車体の揺れをなくして、車内をstatic,静止状態にするか。さびによるcorrode,侵食からstem,食い止めるか。液体をあるreptile,爬虫類につくparasite,寄生虫のenzyme,酵素でferment発酵させて、さらにlava,溶岩でdissolve,溶かして、dilute,薄める方法。ライトのflicker点滅のさせ方。vent通気孔の確保と音や熱のinsulate遮断。Segment,断片化されたタイムテーブルにおける、refund,払い戻しのシステム。 世界がflatter,誉めるような画期的技術が開発されました。ATC「自動列車制御装置」─―前方を走る車両に異常があった場合、レールづてに信号を送り、後続車をstationary,静止させるというもので、世間をshudder,身震いさせる、顔がtwitch,ぴくぴくするような重大事故をexterminate,根絶しました。
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