57 新幹線を作った男たち⑨
2018.11.21
さて、新幹線誕生には三木忠直という人物も大きく関わっています。三木は戦時中、戦闘機の設計士でした。三木が設計した特攻機で多くの若者が亡くなっていったことに良心の呵責を感じた三木は戦後、devout,敬けんなクリスチャンになり、平和利用しかできない鉄道究の道へ進むことになります。 三木が取り組んだのがbulk大きさが大の新幹線車体の軽量化でした。同時に空気をrub,こすることのないないように、自分が設計した爆撃機銀河の流線型のデザインを取り入れました。昭和28年、三木は東京―大阪を4時間半でknot,結ぶことが可能であるというtestimony 証言をして、多くの国民をreassure,安心させました。 しかし、中には「そんなのは自己満足complacentの鉄道関係者のhypocrisy偽善だ。戦前の巨艦主義のremnant,残り、superstition,迷信だ。」などと、感情をrestrain,抑制もせず、口からつばをsplatter,飛び散らせて非難するmorbid,病的な某作家などもいました。 しかし、疲弊した経済のrenovation修復するために、国は三木の構想をbrace支えることに決定しました。さらに、意外な人物も三に注目しました。surplus,余剰な資金を持つ五島慶太です。五島はnominal,名目上のではなく、実質的な東急電鉄の創業者でした。tyranny,圧政と言われるほどの強引さの反面、経営手腕には確かなものがありました。彼は毎年の赤字でstifle窒息状態にある小田急の役員も兼ねていて、再建のためのtoken,しるしとして、特急ロマンスカーを立案し、設計を国鉄の人間である三木へ身をstoop,かがめて依頼しました。これはそれまでの慣わしをbreach,破るものでしたが、国鉄総裁の十河はこれをcondone,許可しました。
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