55 新幹線を作った男たち⑦
2018.11.19
しかし、十川のinherent,固有のattribute性格である、divine神聖な目標へのadhere固執に、stingy,けちな国も遂にconcede譲歩しました。 夢の超特急の目標速度はbreezeそよ風を超える時速200キロ。Stout 頑丈でないと車体にcavity,空洞ができるかdismantle,分解してしまいそうです。squeak,きしむ音も半端ではないでしょう。その現実性にはdubious疑う人のほうが多勢でした。当時の鉄道は160キロが限界というhypothesis仮説あるいはplausibleもっともらしいequation方程式があったのです。 しかし、この定説にrebel反乱を起こすことを考えていた、性格が straightforward真っすぐな島には常識をshatter打ち砕く、あるいはoverthrow,ひっくり返す秘策がありました。それは、「電車」の採用です。当時はlocomotive,機関車が客車を引っ張るのが主流でした。モーターの振動がひどい電車は長距離に不可決のamenity,快適さをimpede,妨げていたのです。 この問題を解決したのが松平精でした。松平は戦前、戦闘機のwaver,揺れの問題をmicroscope,顕微鏡など様々なapparatus,器具を用いて、scrutiny,精査して原因をdiscern,識別する優秀な専門家でした。松平はtrifle ささいなことは気にしない、conceitうぬぼれというのを知らない hilarious愉快で、wholesome,健全なtemper,気質の持ち主でした。 鉄道研究所は松平以外にも戦前、世界最高水準の戦闘機を開発した多くのsturdy,頑丈でillustrious,優れた技術者をrecruit,募集して、彼らをassimilate吸収同化していていました。彼らはrecess,休みも取らず、adjacent,隣り合った席について、額のwrinkle,しわを寄せ、glare,ギラギラした目で、しかしamicable友好的な雰囲気でdiscourse,会話をしながら、振動理論をfabricate,構築していきました。
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