57 部下を守るために起こした奇跡の逆転①
2018.11.06
放送終了後、全国の多くの家庭で,applause,拍手喝采が起きた。NHK内では感激の電話がしばらくの間、fierce,,激しく鳴り響き、回線が一時,disrupt,,中断された。1週間であらゆる世代から,approximate,概ね1万件という、それまでの記録を,surpass,超える圧倒的な数字だった。中でも一番多かったのが、人生に,stumble,つまずき、,疲れ果てた,anonymous, 匿名の人達からの「もう一度がんばる。」という声だった。自分はどうなろうとも部下の生活を守るために,contend,,戦った,authentic,,本物のリーダー。部下を守るための14年もの戦いはどのようなものだったのか。 1970年、ビクター横浜工場へビデオ事業部長として、赴任した高野鎮雄はやけくそだった。1年で,mortal,なくなる運命とされる部署へ移動させられたのだから、死刑の,verdict,,,評決を,slap,叩きつけられたも同然ある。Rage,,怒りに似た感情もあったかもしれない。Sober,,シラフではやってられないと、酒処「きしや」で毎日飲みつぶれた。 ビデオは,intricate,複雑な機器であり、そのシェアは,monopoly,,独占と言えるほど、ソニーが,triumph,大勝利を収めていた。ソニーは,questionnaire,アンケートで就職したい企業1位の,immense,巨大カンパニー。Numerous,多くの優秀で,diligent,,勤勉な社員を,asset,,,財産として持ち、彼らは,mutual, ,,相互に,stimulate,刺激し合って、人気商品を,yield, ,,産み出していた。 業界8位のビクターはビデオ事業部とテレビ事業部で,consist,構成されていたが、主力はテレビ。ビデオは質の悪さで,notorious,評判悪しだった。当然売れず、,perpetual,絶えず赤字に,anguish,苦しんでいた。ビデオ事業部というのは,rhetoric,言葉の飾りで、本社が設計したものを生産して売るだけで、社内にはビデオ事業部をtease,,からかう人もいた。事業部内は,damp,湿った,gloomy,,,陰気な雰囲気で、士気は,deteriorate,,悪くなる一方だった。1972年ビクター本社は,ruthless,,無慈悲なリストラを,execute,,実行。50人のビデオ技術者をビデオ事業部に追い出した。
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