数年後、ソニーは語学に,prominent,秀でた人材を,recruit,徴集し、deploy,派遣します。多くの,candidate,候補から、米国は大川内さんに決定。彼は米国の,landmark,名所マンハッタンに,dwell ,,居住して、世界最小の,novel,,,新奇なラジオで日本製品への,perspective,,見方を変えるべく取引先を探しました。仕事が終わると日本料理を,cater,仕出しする店、安芸の,compartment,,,間仕切り室で他の日系企業営業マン達と、刺身の,tip,,,先を醤油に,dip,つけながら健闘を,vow, ,,誓いました。 欧州での販売をembark,,開始したのは数ヶ国語を操る最も,eligible,ふさわしい小松さんがしました。小松さん達は国の,boundary,,,境を気にせず,brochure,パンフレットと現物を手に販売に,engage,従事しました。日本製品に,lenient,,寛大な国もある中、ドイツは,empathy,共感を示さず、彼らを,distress,苦脳させました。ドイツは日本製品を,overlook,,見下していたのです。ここで諦めては努力が,futile,,無駄になります。 絶対に,retreat,,,撤退できません。原因は,mechanical,機械の,capability,,,能力ではなく、ドイツ人の,obstinate,頑固さで、この,plight,苦境を抜け出すためにある,plot,作戦を実行しました。無料で製品を置いてもらった高級店へある日、ソニーのラジオはないかと,inquire,尋ねる学生が次々来ました。Subsequent,続く日も同じ事が他の店でも起きて、ソニーの名はドイツ中、ヨーロッパ中に広まりました。 米国では、熱に弱い部品の故障とその,sue,訴訟という日本の評判を,impair,損なうかも知れない問題も解決して、米国向けの,ship,出荷は増加しました。そして、遂に昭和37年10月マンハッタンのど真ん中に日系企業で初めてソニーの展示ルームがオープンしました。入り口の上にはためく日の丸を見て、気持ちを,oppress,抑えることができずに、涙を流す人達がいました。日本料理店で励ましあった営業マン達でした。異国の地で、solitude,,,孤独と戦う彼らは日本人の勇姿に勇気付けられたのでした。そして、彼らもその後、大活躍をすることになります。日本!日本!日本…がんばれ、日本!