34 七畳間で世界一のプラネタリウムを作った男①
2018.10.14
Individual, ,個人で世界一のプラネタリウムを,manufacture,製造した人が大平貴之さんです。1970年神奈川県生まれ。成長すると、その,activity, ,活動が他の子とは違ってきました。Chemical, ,化学物質に興味を持ち、elementary school, ,小学校の時、火薬の,ingredient, ,成分のバランスに悩みながらもロケットを自作しました。 もう一つの,primary,主な興味が,astronomy,天文学とプラネタリウムでした。小4の時にpurchase購入した雑誌の付録でピンホール式のプラネタリウムの,fundamental,基本的な,principle,原理がわかりました。大学進学後は休学してまで、研究を,pursue, ,追求しました。電機屋さんでのバイトには,merit,利点が多く、電圧を,gradually, ,徐々に上げてリスクを,decrease,減らすなど多くを学びました。 こうして、個人製作は無理と言われていたレンズ式投影機を完成します。その,consequence,結果、多くの企業からこの素晴らしい,potential, ,潜在力を持つ若者へ共同開発の,offer,申し出が来ましたが、この時は断りました。大平さんは就職して、オーストラリアへ旅行します。星空は,awful, ,恐ろしいほどのまるで,suck,,吸い込まれるような,paradise, ,天国のような美しさです。体が,,shiver, ,震えます。大平さんは今まで以上のものを作ろうと決めました。 目標は,million,100万個のプラネタリウムで、これは, absolute,絶対的困難です。なにしろ、5㎝のプレート,,per,,につき20万個の穴をあけなくてはなりません。Brain,脳と,,nerve, ,神経が,destroy, ,破壊されるような精密さが,demand, ,要求されます。 このobstacle,,障害を気合と根性で(笑)conquer, ,征服したそうです。給料の大半が「メガスター」に行きました。常に,capital, ,資本が,scarce, ,乏しいので、昼食はカレー。大平さんは遊びたい気持ちを抑えて、毎晩1時まで、土日も開発です。Otherwise,さもなければ1998年の国際プラネタリウム協会ロンドン大会に間に合わないからです。