28 逆転の発想 天才ロケット博士・糸川英夫④
2018.10.06
カッパロケットの高度は200キロになり、電離,layer,層に届くようになりました。このstage,段階で糸川は日本海の狭さを,care,気にし始めます。また、人を,hurt,傷つける事故はなかったのですが、爆発事故が起き、糸川は別の場所を探し始めます。 1年後に到着したのが本州の,fringe,端、鹿児島県の野菜と,timber,木材を主な,income,収入とする内之浦町でした。Inn,宿に到着、mayor,市長と視察に行きます。ある所で車を停め、「ここにしましょう」という糸川の,remark,発言に、accompany,お供していた,secretary,秘書や町長達は耳を疑いました。Flat,平たい場所がなく、cliff,がけと丘しかないのです。「糸川先生は,crazy,狂ったのではないか?」 「あの山は削って。こっちのは,command,指令センターにして。Leftover,余りの土で,landfill,埋め立てや、道路を作って」と次々と湧き出る糸川のアイディアを周囲はfairy tale,おとぎ話のように、ただただ聞くだけでした。町、県、文部省。糸川は次々と,persuade,説得していきます。数年後、内之浦はロケットの,base,基地になりました。Universe,宇宙に一番,close,近い町です。Economy,経済への効果は大きく、地元の,folk,人々は大喜びです。1966年新型のラムダエンジンが開発されます。 4代目までは,pity,残念な結果でした。外部からの様々な批判の中、チームは奮闘を続けました。そして、1970年、遂に5代目のロケットが、鹿児島湾のはるか上の,transparent,透明な空へ,swallow,飲み込まれていきました。このロケットは,artificial,人工,,satellite,,衛星という,load,積荷を掲載していて、衛星軌道上で切り離され、ここに日本最初、世界で4番目の人工衛星が誕生したのです。打ち上げ成功の記者会見の席に、「国産ロケットの父」糸川英夫の姿はありませんでした。アラビアの,desert,,砂漠でこの一報を聞いた糸川の目からは溢れ出る涙が止まらなかったと言います。糸川は某新聞社のバッシングにより、東大を辞職せざるをえなくなったのです。定年のわずか4年前でした。