27 逆転の発想 天才ロケット博士・糸川英夫③
2018.10.04
試作されたロケットは23cmで200グラム,weigh,重さでした。名づけてペンシルロケット。55年2月、富士精密の荻窪,factory,工場にて,experiment,実験がなされました。小型でもロケットのパワーは,enormous,巨大で,predict,予測しない方向に飛ぶことがあり、ある時などは隣の工場の壁をぶち破りました。また、振動を,cause,引き起すので、,precise,精密な寸法の物が作れないと,complain,苦情を言われました。 So,それで研究班は秋田県の道川という,sea shore,海岸沿いの町に移転することになりました。遺跡を,explore,探検する人のようでした。電話はない。動き回るのは自転車。ロケットを,draw,引くのは馬!Advertise,宣伝上手な糸川は多くのマスコミ関係者に,surround,囲まれ、あれこれ説明しました。ロケットの軌道をカメラで,track,追跡するのは困難で、担当者はカウントダウンを,tense,緊張しながら聞きました。 ペンシルロケットの次はベビーロケットが制作されたが、former,前者は高度が,maximum,最大で1km、latter,後者は6kmに達しました。2年後に迫るIGYに,participate,参加するには、60kmの高度が,necessary,必要でした。Yet,,しかし なかなか,distance,距離が伸びず、メンバーの中には米国のように、liquid,液体燃料を使用すべきと言う人もいましたが、糸川は「外国の,imitate,真似をしても意味がない。カッパロケットで一気に高度60キロを,aim,目標にする」と,declare,宣言しました。 ベビーよりも長いカッパロケットが何度爆発を起こしても、「これは,tuition,授業料」と、,awkward,気まずい雰囲気にせずに、成功に,persist,固執しました。幸い,bump,ぶつかって,wound,怪我する人もなく、ambulance,救急車は来ませんでした。 数多くの失敗と工夫を経て、58年の秋、eventually,遂にカッパロケットは打ち上げに成功。高度60キロに達し、掲載した観測機器から、大気に,concern,関係するデータを地上へ送信しました。糸川は「やったー!」と,exclaim,叫びました。この日、日本は宇宙開発の先進国の仲間入りを果たしたのです。