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ブログ・お知らせ

25 逆転の発想 天才ロケット博士・糸川英夫①

2018.10.03

    世界最高水準とされる日本の宇宙,,technology,科学技術は,actually,実は一人の男から始まりました。その男の名は糸川英夫。敗戦後の金も,material,材料もない時代に、世界一のロケットを絶対に作るという夢を持ち、それを,realize,実現した人です。糸川英夫が何を,establish,達成したのか、どんな,philosophy,哲学を持っていたのか、出生からしばらく,trail,追跡して、introduce,紹介しましょう。     糸川英夫は東京の港,ward 区に生まれました。優秀過ぎて,semester,学期途中で飛び級します。Generous,寛大な母親から「Deaf,耳が不自由なお友達に勉強を教えなさい」と,order,命令されたのが糸川の学習の動機です。授業中に、鉛筆を,roll,転がして,correct,正しい答えが出る確率を試して、母親から叱られた,sour,,酸っぱい経験も。東大卒業後、航空機に一生を,dedicate,捧げるべく中島飛行機へ。日本を,represent,代表する多くの戦闘機を開発しました。特に名機と謳われたハヤブサを,create,創り出し、genius,天才と呼ばれました。     しかし、敗戦で糸川の生活は一変。戦争に協力するような,role,役割をしたという,rational,合理的でない理由で、public,公の職に就くのを,prohibit,禁止されました。研究からの借金もあり、完済した時の糸川は,bare,裸同然でした。しかし、苦難の時期を乗り切った糸川に,opportunity, 機会がやってきました。日本が新しい,constitution憲法を制定、主権を取り戻したのです。これで研究者達は研究職に,legitimate,合法的に,,join,参加できることになりました。   糸川は東大に戻り、ロケットの研究班を立ち上げました。糸川が航空機ではなく、ロケット開発に,address,取り組んだのは,appropriate,適切な理由がありました。戦後アメリカは日本のそれまでの航空研究に関する文書を全て,eliminate,消去し、かつ日本の研究を,altogether,完全に禁止したので、今からではもう追いつけない。しかし、ロケットならまだ始まったばかりで、追いつけると,assume,思ったのです。

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