ネイティブの英語を目指してはいけない
2018.05.02
ネイティブのような英語力を目指すことはやめたほうがいいと思います。なぜなら実現不可能なことだからです。まず語彙で考えてみましょう。どんなにがんばってもその言語のネイティブ並みの語彙を身につけることは不可能だと言っていいでしょう。このことは例によって「逆に考えれば」わかります。例えばあるドイツ人が日本に30年滞在して一生懸命日本語を学んだとします。その人の語彙力は我々と同じくらいあるのでしょうか?そんなことはないはずです。もし仮にあったとしても、語彙の豊富な人、例えば立花隆さんと比べたらどうでしょうか?いくらなんでも立花さんにはかなわないでしょう。こう考えれば、我々がどんなにがんばっても英語のネイティブのような語彙を身につけるのは限りなく不可能に近いのです。また仮に可能だとしても、膨大な時間と労力をたかが英語(国際コミュニケーションの手段でしかない)に費やすことを正当化できる理由はあるのでしょうか?そういう事例はおそらくないだろうし、99.9999パーセントの人にとっては無意味だと思うのです。
これは語彙以外の事にももちろん言えます。どんなにがんばってもネイティブと同じ速度で英文を読むことはできない(論説文となると論理が大きな比重を占めるので話は変わってくる)し、同じようにすらすらとしかも正確に話したりできませんし、また聞き取ることもできません。ですからどこかで線引きをしないと精神的に追い詰められることにもなりかねません。何度かそういう人を見たことがあります。その中のある人は相当な努力家(自衛隊の文官だが、在日米軍の大物の通訳をしばしば任され、将来的には安全保障の国際会議における通訳者を希望している)で英検1級と通訳ガイドの資格を取り、英語以外の知識も豊富でした。
スピーキングを鍛えるためにネイティブの個人レッスンを毎週一回受けていたそうですが、間違いを指摘されることが多いらしく「いつになったら上手くなるんでしょうね」とため息交じりで話していました。確かに間違いはありましたが、それは許容範囲であって、ノンネイティブとして十分な英語力を持っていましたし、なによりそれ以上に知識の量が人並みはずれていたのです。ですから何も落胆することはないのです。どんなにがんばってもノンネイティブである以上(ネイティブでもある)必ず間違いはあるのですから。それを気にしてもまったく意味はないのです。自信を持たなくてはいけない。それだけ話せること、知識が豊富なことに。