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ブログ・お知らせ

沖縄の未来①  大学受験英検英語教室

2018.03.31

英語の話は一旦中断して、今日から3回に渡り、沖縄の未来について私の考え(というか理想というか)を記します。与太話(と言っても私は一滴も飲まないが)と思うかもしれませんが。塾生を含めた沖縄の若い人たちのことを真剣に考えれば、こういう結論になるしかないと思うのですが… 

  私は東京オリンピックの2年前に沖縄県浦添市で生まれました。今でこそ浦添市は道路が整備されて、大きな建物もありますが、当時は空き地や草地が多く、子供にとっては遊ぶ場所の多い町でした。通っていた仲西小はもともとは今の仲西公民館にあったそうで、私が入学したころは今の場所で一学年10クラスというマンモス小学校でした。小5のときに、浦城小ができてそちらに生徒が流れてからは6クラスになりました。小学4年生のときに、沖縄が返還されてそれまで使用していたドルを父親が銀行へ行って円と交換してきたことをかずかながら記憶しています。今のように、コンピューターも携帯もない時代で、遊びといえばもっぱら原っぱ、林、校庭で、野球、鬼ごっこ、こま回し、竹馬、とんぼ返り、鉄棒、ブルース・リーの真似…、実にのどかな風景でした。
  私の両親は伊江島出身で、毎年夏になると父親と一緒に、伊江島の祖父母、叔父、叔母の住む邸宅で数日間過ごしました。叔父は農家だったので、耕運機を所有していて、その後ろにリヤカーをくっつけて、そこに私たち子供を乗せて、徒歩より遅いくらいの速度で海まで連れて行ってくれました。今は肥料が流れ込んでだめになっているそうですが、当時は透き通るような海で魚が群れをなして泳いでいました。水中眼鏡をかけて、簡単な釣竿を垂らして、魚がかかったのを目視で確認しては釣っていました。当時から不器用な私はそれでも必ず数尾は釣ったものです。叔母は収穫した魚をさばいて、刺身にするのが仕事で、小さなとげが残ったその刺身は味噌交じりのしょうゆと絶妙の相性で非常に美味だったことを覚えています(また食べたいものですが…)。
  中学に入ると、野球部に所属しました。当時の運動部というのは先輩後輩の上下関係が必要以上に厳格で、言いがかりをつけられては部室に一年生が呼び出され、臀部をバットで強打されたものです。ある同級生はそのバットが太もも裏側に当たり、紫色になっているのを見たことがあります。こういう理不尽さに耐えかねた私は二年に上がる前にさっさと退部しました。同級生のO君は、席次が常に一番で、性格も良く、運動能力も高いというスーパー中学生でしたが、英語だけは絶対に負けないと決意していた私は、実際英語だけは負けることはありませんでした(と言っても今のような中学で英検準1級といったレベルではまったくないが)。このO君の一つ下の弟がまた秀才というか天才(学校の先生がそう言っていた)で、ラサールに行き、東大に進学したそうです(ちなみにO君は首里高から一浪で軽くっ琉大医学科に行き、今どっかで医者をやってるらしい)。因みに知ってる人で家族5人中4人が東大卒というのがいて、やはり血筋というのはあるのだろうかと思ってしまいますが。
  今の若い人は信じないかもしれませんが、当時浦添市には塾はひとつもありませんでした。那覇市に大きな塾としては尚学院があったくらいで、あと小さな塾がひっそりと営業しているようでした。私が高校生のときに那覇高等予備校というのができて、高2のときに夏季講習に参加して、数学の先生が時折見せる「テクニック」に「おお」となったことを覚えています。内申点の関係で首里高でなく浦添高に進学したのですが、後で思えばこれが間違いでした。毎年50名程度の国公立合格者が出る昨今と違って当時の浦添高は琉大に現役で数名というレベルだったので、競争意識がほとんどなく、ほとんど勉強せずに部活(柔道)に励んでいました。風邪で授業は行かなくとも部活には出るというほどに当時の私はインターハイに出たいという思いが強い柔道一直線少年でした。おかげで成績は大いに下がりましたが、体はかなり頑丈になり、今でも財産になっています。が、結局インターハイに出ることは適わず、不完全燃焼の私は柔道の強い大学(例えば当時世界選手権で4連覇し、海外から畳の上の芸術家と謳われた藤井省三さんのいる京都産業大とか)に行って、雪辱をと思いもしましたが、小さいころから行く行くは学問で身を立てることを決めていた私は、そうはせずに弁護士になろうと東京の私大法学部に進学したのです。これが大間違でした。
  実際に法律の勉強をやってみると、まったく面白くなく、司法試験うんぬんはすぐに選択肢からはずれてしまいました。私が知るある数学の先生も某有名国立大医学部に進学したものの、勉強に興味が持てずに、退学して別のこれまた有名国立大数学科に入り直したそうです。最近読んだヤフーの記事でも、医学部に入ったものの合わなくてやめる、あるいは留年する人が少なからずいるそうですから、医学部に限らず、進路を決める際には何が合っているか、何をしたいかきちんと理解してからにしたほうがいいです。

  

 

 

 

 

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