英語の上手なノンネイティブを目指す 大学受験英検英語教室
2018.01.23
ネイティブのように話すことを目標としている人が多いのには驚きます。なぜなら可能性がゼロだからです。それは日本に長年住んでいてかなり日本語の上手な外国人の日本語を考えるとわかることです。彼らは日本人のように話せているのでしょうか?そうではないはずです。どんなに上手ではあってもやはり限界があるはずです。
もちろんだからといって「どうだ、日本人にはかなうまい」などと妙な優越感に浸ってはいけません。いくら日本に住んでいるからといっても日本語が上達したのは紛れもなく努力したからであって、それはまた日本の文化に対して敬意を払っていることの表れでもあるのです。だからそんな彼らに敬意を払わなくてはなりません。
逆に長年日本に住んでいながら日本語がほとんど出来ないのはその逆だと考えていいのではないでしょうか。ネイティブ崇拝のお陰でこの国にはとにかく英語のネイティブであれば、大学などで仕事を見つけやすいようで、中には日本が好きではないが「食うために」ここに住んでいるような人が残念ながら実際にいるのです。
中には「英語が最も価値のある言語で、日本語は学ぶ価値がない」などと公言する人もいるほどで、自分はまったく外国語が話せず、外国語の習得がいかに努力を要するかも知らずに、生徒のスピーキングにおける文法上のミスをとがめたり、英検を受ける生徒に向かって、「英検はあまりよくない。ケンブリッジ英検が一番」などとほとんどの人が知らないようなマイナーな試験に言及したりします(実際にあった話)。ただ英語が話せるという理由で崇める人が多いからこのような勘違い人間が出てくるのです。
ネイティブとは裏を返せば、モノリンガルでしかなく、日本語と英語の二つを話せる人とどちらが値打ちがあるかは考えるまでもないことでしょう。例えその英語に時々間違いがあったとしても、1ヶ国語しか話せないよりも価値がある
のは当然のことではないでしょうか?
残念ながら、どんなにがんばってもネイティブのようには話せません(作文に関してはまた別で、詳しくは作文編参照)。ですから、それをとがめることがあってはならないし、またそれを恥じる必要もまったくないのです。英語が好き、は大いに結構です。しかし、実現不可能なところに目標を置いて卑屈になったり、貴重な時間を無駄にしてはなりません。我々はネイティブを目指すのではなく英語の上手なノンネイティブを目指すべきなのです。