ネイティブの生きた英語」も幻想 大学受験英検英語教室
2018.01.22
よくナチュラルな英語、あるいは生きた英語、本場の英語などといった一見もっともな、魅惑的なキャッチフレーズを使った広告を見かけます。しかし、これらはまったくナンセンスです。仮に「生きた英語」と言うものがあれば当然「死んだ英語」もあるはずで、これはどういう英語なのでしょうか?
シェークスピアの時代の英語などであれば、現在使われていないので、そういう意味では「死んだ英語」とすることもできるかもしれません。しかし、こういう言い回しをする場合そのほとんどは「学校で教えられている実際の会話では役立たない(受験)英語」という意味合いである場合がほとんどでしょう。
しかし、私の話す英語は今から20年以上前に学校で習った英語ですが、使えないなどと言うことはまったくありません。それどころか大いに役立っています。また今、学校で教えられている英語もシェークスピアの時代の英語などではなく、あくまでも現代の英語なのです。死んだ(もう使われなくなった)英語などでは絶対にありません。
もう一つ、「ナチュラルな英語」についても考えてみましょう。一体ナチュラルな英語とはどこで使われている英語なのでしょうか?アメリカでしょうか?イギリスでしょうか?仮にアメリカだとしたら、あの広い国のどこで話されている英語でしょうか?
仮にニューヨークあたりだとしてもどの年代のどういう社会的階層に属している人の話す英語なのでしょうか?このように考えるとこれが「ナチュラルな英語だ」などとは絶対に言えないのです。つまりある人にとっては「ナチュラルな英語」であっても他の人にとってはそうではないのです。分かりやすいのがアメリカとイギリス英語の違いで、アメリカ英語はアメリカン人には「ナチュラルな英語だ」でしょうが、イギリス人にはそうではないのです。
さらにすでに述べたようにアメリカのある人々にはナチュラルでも別の人々にはそうではないのです。繰り返しますが例えばアメリカのある人々の英語を「ナチュラルな英語」として仮に100パーセントマスターしたとしても、別の人々
「からは「君の英語はナチュラルではない」と言われるということです。だから「ナチュラルな英語」にこだわっても仕方がないのです。後に詳しく述べますが「ナチュラルな英語」などではなく、「正しい英語」を話せば、このように右往左往することはありません。
話はそれますが、私は沖縄で生まれ育ちました。ご存知のように沖縄には米兵が多く、米兵と結婚する女性も少なくありません。私のいとこもグレーンという米兵と結婚しました(離婚も)。その彼とは仲がよくいっしょにドライブに行ったものですが、彼は一度オーストラリアに駐留したことがあると言っていました。
彼はオーストラリア人の英語はよくわからなかったとも言っていました(笑)。確かにオーストラリア英語は癖が強く、例外なのかもしれませんがそれでもこのように同じ英語でも違う部分が結構あるのです。では一体何を基準にすれば、どのような英語を話せば通じるのでしょうか?ずばりそれは生きた英語などといったあいまいなものではなく標準的な英語でしょう。地域などは違っても英語が英語である以上必ず共通するところはあるはずで無論共通する部分の方が多いのです。
この共通する部分とは文法なのです(若干の違いはありますが)。したがって文法的に正しければ意味が通じることになります。実際のスピーキングでは文法的に完璧に正しいというのはまず不可能ですが、それでもある程度は正しく話すことを心がけるべきです。あまりに不正確だと相手に伝わらない可能性があるからです。
英作文をする時でもナチュラルな英語などというあいまいなものを目標にするのではなく文法的に正確な文章を心がけるべきです。そうすればきちんと意味が伝わります。ちなみに私個人はこれまで結構外国人(ネイティブ、ノンネイティブを問わず)と英語でやりとりをしたことがありますが私の英語がわからないというようなことはありませんでした。それは私が生きた英語などというあいまいなものではなく(文法的に)正しい英語を話していたからなのです。